繰り返される虐殺 人類全体の問題:作家V・タジョさんが日本で講演―文学者の役割を強調
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コートジボワール人作家で、フランス政府から芸術文化勲章コマンドゥールを授与されているヴェロニク・タジョ(Vélonique Tadjo)氏が来日し、3月に東京大学で講演を行った。アフリカ・ルワンダで起きたジェノサイドを元にした小説「神(イマーナ)の影(原題L’ombre d’Imana, 英題The Shadow of Imana; Travels in the Heart of Rwanda)」を2000年に発表している同氏。それを解題し、「凄惨な出来事を人が直視し、様々な角度から考え続けることは、将来それの抑止につながる」と語った。参加者約180人は生存者の証言や記憶を受け取る意義について考えた。
旅行記と創作物語で想像促す
タジョ氏を招いたのは、同大学とそこに拠点を置くアフリカ文学研究者ら。同書の日本語訳を19年に発刊、すぐ翻訳記念をと考えていたが、新型コロナで延期されていた。
同書は、1994年に虐殺が起きたルワンダをタジョ氏が訪れ、現地の人から話を聞いた体験から成っている。国民の7分の1が死んだとされる同国は、死の気配が濃く、ジェノサイド終結宣言後も加害者と被害者が混在して暮らす社会に混乱は続いた。
タジョ氏は現地ルポのようにはせず、序章と終章で旅の記録を散文調で書き、間に創作物語を挟んだ。ルワンダ人の虚ろな表情から悲しみを感じ取り、いったんフィクションにすることで、「実際そこにいるような人/あるかのような情景」を読者に提示、そうすることで現実の残忍さを読者に想像させる手法をとっている。
文学は「記憶の空間」を作れる
他国の惨事を知ろうと足を延ばし、本を執筆した彼女。動機は何だったか。「虐殺のような極端な事態がなぜ引き起こされるか、それを理解したかった」と作家は説明した。内戦やロシアの軍事侵攻など、世界で争いは止まない。そんな世界で文学者が果たすべき役割については、「文学は、悲劇的な出来事を考え続けることができる『記憶の空間』を作り出せる」とし、「書くことは、絶望に沈まないようにしながらも、世界をありのままに受け入れることを拒むことだ」とも表現した。ともすると絶望的に見える社会だが、目を凝らすことで、別の世界を生み出す思想を得ることがある、そのために作家は行動しなければ、というメッセージを込めた。
講演に登壇した同大大学院の星埜守之教授は、「記録と記憶を織り交ぜて表現している点で『神の影』は、日本の水俣病を描いた石牟礼道子(いしむれみちこ)の『苦海浄土(くがいじょうど)』と通ずる」と論評した。立命館大学の西成彦名誉教授は、「かつてのユダヤ人虐殺では、後にそれのドキュメンタリー映画『ショア―(SHOAH)』などが制作されたが、ルワンダはそれとはまた違った形で記憶の集積の試みがなされていて、そこに抵抗精神を感じる」と称えた。
ジェノサイドと語られ方
ルワンダのジェノサイドは、1994年4月から3か月間に80万人が殺されたとされる大虐殺で、20世紀最大の悲劇の一つと言われる(死者100万人という説もある)。62年に独立したルワンダは、フツが政権を握りツチ冷遇策を敷いていた。近隣国に逃れたツチは、難民2世が90年代に同国に侵攻、内戦となった。和平協定が結ばれたものの、既得権益を失うことを恐れた一部政権側が策動し、ツチ殲滅計画を図った。
タジョ氏によると、ジェノサイド時に記者が現地入りしたが、それは終盤のことで、情報が世界にもたらされるのは遅かった。また、既存欧米メディアの特派員による報道が多く、保護やインフラ整備が不十分だったアフリカ人ジャーナリストの声はあまり聞かれなかった。加えて、国連や国際社会の動きは消極的で、ルワンダへの理解や分析も遅かったため、被害が拡大。「原始的な人たちの野蛮な抗争」と見なす傾向が生まれた。
戦争に女性の視点
その見方を変えるべくアフリカ人が行動を起こした。アフリカ文化を紹介する芸術祭「Fest’Africa(フェスタフリカ)」がフランスで開かれた際、ルワンダ人の声を聞き、再び生きようとしている人々の姿を表現しようという文学計画「ルワンダ 記憶の義務によって書く」が提唱された。ようやく叶った98年にタジョ氏ら10名がそれに参加、ルワンダ人と交流して9つの文学作品を創出した。セネガル、ギニア、ジブチなどアフリカ各国の作家が参集した。
「神の影」にある創作短編「彼の声」は、タジョ氏が手がけた女性の物語だ。女性主人公は、ジェノサイド中に夫に何があったかをよく知らないまま、周りから白眼視された夫が自死したことで、深く傷ついている。ある日、夫の声に似た男から電話がくる。最愛の人と再会できる気持ちで出かけるが、やはりそこにいたのは夫ではなかった。夜、夫の遺体を見つけた時の悪夢でうなされるが、「彼」との次の面会で「彼」が語る。
「国を残虐行為で覆うよう扇動した者たちは罰せられるべきだ。でも他の人たちは罪悪感から解放されていい」。打ちひしがれた生活を送っていた主人公は、希望の端緒をつかむようにおずおずと会話を始めていく―。
このようにタジョ氏は、殺戮場面を直接描くことなく、ルワンダ人の喪失と再生を表現することに成功している。
心を支配される条件、揃えさせない
講演前日にはアンフィルターのインタビューに応じた。「ルワンダに行って感じたことは、母国コートジボワールの人々とルワンダ人がよく似ていたこと。殺戮の加害者は本当にみな普通の人たちだと分かった。それが一番の恐怖だった」と回想した。しかし虐殺はルワンダでのみ起きるわけではない。20世紀にはポーランドやカンボジア、シリアでも凄惨な事態があり、現在はウクライナがロシアに侵攻されている。