社会とつながり直す 自分を取り戻す

社会とつながり直す 自分を取り戻す

快晴だがビル風が強く叩きつけた2021年3月14日、幸子さん(30代、仮名)は都内新宿区の大久保公園で実施された「女性による女性のための相談会」に現れた。

新型コロナ感染が拡大する中で、短期契約の仕事も見つからなくなり家賃を2カ月滞納しているという。住宅確保給付金はとりあえず申請したが、所持金は3千円と小銭だけ。話を聞くと、こんな事情があった-。

幸子さんは、中学生の時から細胞に関する研究書などを読み漁り、高校では成績も良く、生物学者を目指して猛勉強した。世界の偉人伝シリーズで魅せられたのは「ファーブル昆虫記」や「シートン動物記」。生物の起源が神秘的だった。

富や名声には全く関心を持たなかったが、知識や情報には貪欲だったという。これには訳がある。幸子さんにとって、本の世界だけが唯一、家にいても安らげる場所だったからだ。

両親からの虐待

幸子さんは親から毎日のように虐待を受けていた。母親からはずっと嫌われていたような気がする。父親は彼女の機嫌をとるために幸子さんを殴るような人だった。腐りかけのご飯を出されたり、食事にゴキブリが乗っていたこともあった。完食するまで半ば軟禁状態で父親が見張っていた。

中学入学を目の前に、父親から性的な関心が注がれるようになった。下半身を触ろうとしてきた父親を拒絶して大騒ぎになると、母親からは「お前がふしだらだからだ」と怒鳴られた。

社会に出ると、父親のような男性がたくさんいた。痴漢やストーカー被害には繰り返し遭い、その度に警察に通報するものの、加害者が逮捕されたことは一度もない。警察からは小馬鹿にされたりたしなめられたりするばかりで心が折れた。

その父親が病気で急死した時、「少なくとも暴力を振るう人がいなくなったから、少しはましになったと、正直ホッとしました」。「一般的に親は怖いところもあれば優しいところもあるようですが、私は小さい頃から一ミリも優しくされたことがない。情も湧かないし涙も出ませんでした。そのため、私は完全に『人間として終わっている』などと言われました」

ニュース報道で子どもへの虐待に触れると絶望的な気持ちになるという幸子さんだが、それでも自分よりひどい被害に遭っている人と自分を重ねるのは失礼と感じるという。

「自分の中では人生が壊されるくらいひどい目に遭ったとは思うけれど、小さなこぶやあざができたくらいで、命に関わるほど暴力を振るわれた訳ではないですから」

自立を阻むトラウマ

生物学者になる猛勉強したことで、幸子さんが優秀な成績を収め進学校に入学すると、母親からは過度な期待と圧力がかかるようになった。稼ぎの良い仕事につけるとでも思ったのか、これまでの養育費を返金するように求めてきた。学費が免除される奨学金に応募するしかなかったが、アルバイトをしながら大学の勉強を続けていける自信も心の余裕も残っていなかった。

進学を巡って親と意見が対立し、諦めざるを得なくなった。行き場を失い、部屋に引きこもった。精神的に追い詰められたことで、奨学金の公募からは漏れた。

「毎日ネガティブなことしか考えることができなかった。最初から生まれてなかったことになりたいとか、全てなかったことにしたい、などと考えることしかできませんでした。いま振り返ると、なぜもっと早く家を出なかったんだろうと後悔しています。家から逃げ出せていたら、違う人生を送っていたんだろうな、と。私が弱すぎたんです・・・」

時に硬い床に足が麻痺するほど何時間も正座をさせられ、人格を否定する罵りが続く生活の中で、次第に洗脳されていくのは避けられなかった。

2002年や2021年に福岡県北九州市や篠栗町で起こった殺人事件との共通点があると幸子さんは語る。他人を褒めたり貶したり、暴力を振るったりすることで洗脳し、自分の思い通りに行動させる。

社会人になっても自立に踏み出せなかった理由もここにあると、幸子さんは今やっと理解するようになった。

「毎日すごく辛かったけれど、他に選択肢があるとは思いませんでした。私は恥じるべき存在だから、せめて言うこと聞いていい子にしていないと、と考えていました」

派遣会社に登録もしたが、高卒で特別なスキルもない中ではアルバイトと時給は変わらなかった。それでも持ち前の勉強熱心さで、エクセルの操作や英語も学習するなど努力を惜しまなかった。すると、エクセルの資格を習得すると1300円、英語を学ぶと1600円というように、少しずつ時給が高い仕事に就けるようになっていった。

しばらくはスキルアップも時給アップも、そのための勉強をすることも楽しく、打ち込んだ。しかしそのうち時給も選択肢も頭打ちにあい、同時に新型コロナウイルス感染拡大で雇い止めにあった。2カ月契約の更新を続ける形で最長2年までの契約だったはずが、業績悪化を理由に2020年4月で会社から雇い止めを言い渡された。幸子さんが担当していた業務は正社員に引き継ぐという会社判断により、派遣社員はその段取りを任された。

「屈辱的だなどと言って、他の派遣の人たちと自虐的に笑うしかできませんでした」。それ以降、イベントの販売員やコールセンターでの対応など、数日または月ごとの契約仕事などを細切れにやってきた。

就職活動は常にしている。安定している正社員の枠があればすぐにでも動けるように、短期の仕事だけを選んできた。その結果、家賃を2カ月間滞納。食費もままならなくなり、1カ月ほど炒めたもやしやキャベツだけで生活を続けたこともある。

ハローワークに相談したが、「福祉関係のところがあるからそっちに行けばなんとかなる。それ以上具体的なことは調べられないから、がんばって探して」と言われた。

「そう言われても、どうがんばればいいかわかりませんでした。漠然と『このまま餓死するのかな・・・』と。一応、私は五体満足だし、仕事も今見つからないだけで、働こうと思えば働けるし、仕事が見つからなかったら自己責任で死ぬしかないのかな、と思っていました」

虐待被害に向き合って道を切り開く

追い詰められる中インターネットで探し当てた、「女性による女性のための相談会」に足を運び、労働や生活について相談。住宅確保給付金は受給できることになっていたが、コロナ禍が長期化する中では家賃と食費が捻出できないため、やむなく生活保護を申請することにした。

「まさかこんなに長く無職になるとは思ってもいませんでした」。そう語る幸子さんは、なるべく早く生活保護を停止できるように、行政が提供する就職支援サービスなどを活用してスキルアップのための研修を受講しようと考えている。

幼い頃から虐待に遭ったことで、「自分には対人力がなく、自己アピール力もない」と自覚する幸子さんは、それでも「スキルだけなら勝負する自信はある」と声に力を込めた。できないことをできないままで終わらせず、虐待の被害に向き合いながら自己肯定感を養い就職面接や仕事でも積極性を表現できるようにしたい。そのためにNPOが主催するセルフ・アサーションのワークショップにも参加したいという。辛い状況だが、再び新たな知識を得る機会に目を輝かせ、幸子さんは道を切り拓こうとしている。