【食品安全問題再考 対談】 私たちにとって必要なパンとは
ウクライナ・ロシア紛争の勃発は世界に大きな衝撃を与えている。ヨーロッパのパン籠で再び起きた紛争は今後、世界的な食糧危機を引き起こす可能性があるだろう。アンフィルターは、「食品」や「食文化」に焦点をあてて、どのような課題が潜んでいるのか検証を試みる。
対談第一回目では、食品問題に関わってきた目線で対談者の関心や、バックグラウンドなどを紹介しつつ語ってもらった。
【対談者】
オーツは、日本国内への遺伝子組み換え農作物の規制策定時から現在まで、食品安全問題や、食品添加物の市場動向に関する取材に携わってきた。
ジョアン・ベイリーは、食物、農業、ファーマーズ・マーケットなどの話題を取材するジャーナリストであると同時に、食と文化の交差性について教鞭をとる。
ベイリー テンプル大学ジャパンキャンパスで食文化についての講義を持っている。学生が様々な話題を通して自分たちの食文化を探求する授業だ。地質学から気候、人種差別に土着の食物、抵抗や革命などにおける食の意味など、多くのことを検証し議論する。
食物は、伝統や土地、政治や経済などあらゆることに深いつながりを持つことから、授業でもそれらについて調べていく。なにもかもがつながっているんだと、学生たちにも伝えます。何か一つを取り上げても、それだけで完結できないと。食物は、私たちが気づかなくても、あらゆる物事に紐付いているんです。
例えば、学生はいつも健康のことをずいぶんと心配しているようなのに、同時に、コストも心配しているので、限られた予算で手に入る格安の食品や加工品を多く食べるようになる。
それなので学生には、安くて便利な食品には加工したものが多いこと、その安さは有機栽培でないものや単一培養を可能にすること、糖分や塩分などを過剰に使われるために、絶対的に美味しく感じるけれど健康にはあまり良くないと伝えている。
オーツ 25年ほど前、遺伝子組み換え食品/農作物(GMO)が日本の市場に参入しはじめた。当時、多くのマスコミも日本への輸入規制について取材をしていたが、食品規制、ましてや遺伝子組み換え技術についても併せて理解しているメディアはごく少数だったと思う。
筑波大学生物倫理学のダリル・メイサー教授(Darryl R.J. Macer, Ph.D. )は、この遺伝子組み換え農作物について、生命倫理の観点から開発側の企業広報担当や新聞社の担当記者に対して、双方の言い分を聞く、というある種のリスク・コミュニケーションを試みていた。
当時は、ちょうどGMO大豆・トウモロコシの輸入開始を目前に控えていて、教授は、GMOの食品表示や安全性について、企業とメディア(消費者)の間で情報伝達が円滑でないことを懸念して、動物・農作物への科学技術の応用についての声明文をまとめている。このような経緯を経て現在、日本では遺伝子組み換え食品について表示が義務付けられている。
ベイリー 規制が確定したのはその時ですか。
オーツ 農作物と加工食品についての安全性基準については、農林水産省と厚生労働省がそれぞれ決めていた。両省とも自前の研究機構を持っていて安全性の確保には自信を持っていた。またすでにGMOの安全性評価は国際的には確立した制度になっていた。
しかし、当時は、消費者の間で不信感が広がっていた。自分たちを差し置いて、国が勝手に決めているとの怒りもあったようだ。おそらくメイザー教授は、消費者と政府の間でよりよいコミュニケーションが必要だと思ったのだろう。
厚労省のような関係省庁や、当事者のモンサントやノバルティスなど企業は記者ブリーフィングを開いて情報提供に力を入れていたが、やればやるほど消費者の不信感は高まった。年月は経ったが、食品に対する消費者の不信感は昔と変わっていないようだ。
度重なる食品関連問題
ベイリー 消費者は、なぜ国も企業も信用しないのか。過去に何か食品添加物に関する事件や事故があったのか。
諸外国でも同じように、多くのことについて政府を信頼していないという感覚はある。食品添加物についてならなおさらだ。こうして国や企業が消費者の信頼を失うようになった、日本ではそのきっかけはなんだったのか。
オーツ 表示が分かりにくい、という根本的な問題もあるし、商品に表示できるスペース自体も限られているという事情は考慮しなければならない。最近は2次元コードで食品情報にアクセスできるようなものも出てきたが、まだ限定的だ。
食品添加物は戦前でも使われていた。ただ、現行の制度は戦後のもので70年以上も前に制定したものがベースになっている。確かに、日本では過去にいくつか食品汚染問題があった。電気製品の絶縁材であるPCBが食品に混入していた事件や、粉ミルクにヒ素が混入していたといった事故が例にある。企業名も公表される事故が立て続けにあった頃、レイチェル・カーソンや有吉佐和子が告発本を出し、水俣病やイタイイタイ病が魚を食べたことで発症したことが突き止められるなど、公害問題と同時に食品問題ともなった。
ベイリー 食品関連問題が頻発した時代があったということですね。
オーツ こうした事件、事故があったことで化学物質が身の回りに存在することが分かってきた。そして、化学物質に接触することで発生するリスク研究も進展し、食品添加物に対する規制が厳格化されたと言える。分かりやすい例では食用色素について、今では使用可能なものは限定的で、実際の使用量も毎年減少しているのが現状だ。逆に、安全性が後になって確認されたというものもある。
ベイリー アメリカでも似たようなことがあった。オーツさんの言うレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)という本にも記述がある。1964年には日本語訳も出版されているこの告発本によって、消費者運動が活発化した。今でも食の問題、化学物質や添加物の問題は残っているため、日本と同じように、消費者はこうした問題に注視する必要があると感じているのではないか。
オーツ 現在、アメリカ、ヨーロッパ、日本間では食品規制は共通のものだ。ベイリーさんは、食は文化や伝統に関連しているといっていたけれど、まったく同感です。
日本では伝統的な食品である漬物にも食品添加物が使われる。無論、戦前には使われることはなかった訳だが、もっぱら、食中毒などを防ぐために使われる。しかし、漬物用の食添を欧米で使うことは日本ほど一般的ではないだろう。また、家庭では食品添加物を使うことはほとんどないし、一般家庭で使い切るような量では購入できないのが普通だ。
食品規制は統一すべきか
その半面で、ヨーロッパで使われているワイン添加物は日本では未承認のものが使われている場合もある。同様にアメリカでは、例えばビーフジャーキー。日本では未承認の添加物が過去に使われていた。
このように、国によって、つまり食文化・食経験の違いによって、必要な添加物が使われている。食品添加物の安全性確認の手法は日米欧で共通なのだが、自分の国民の嗜好に合わせて規制するのはある意味で当たり前だろう。
ここで、規制が「共通」だと言ったのは、基本的な仕組みや連絡体制の存在で、それぞれの法律に整合性を持たせているという意味だ。これは薬品、特にワクチンの認可も同様で、新型コロナウイルスワクチンの承認体制についても同様の仕組みがある。
ベイリー 国民の嗜好に合わせて規制するとはどういうことですか。
オーツ ビーフジャーキーは、日本人はアメリカ人ほど食べないのだから最優先で安全性を確認する必要はない(笑)と役人が考えてもおかしくない。子どもの頃の記憶だが、沖縄が返還された頃、羽田空港でお土産のビーフジャーキーを破棄させられて両親が怒っていた。
ベイリー 世界的に規制は統一すべきだと思う時もある。アメリカで健康に悪いと思われるものは、他の国でも同じではないのか。幼稚な考え方かもしれないが、そうではないのか。
オーツ 食品に関しては、平均体重が日本人と欧米人と違うため、許容量が違うという理由をあげる人もいる。そのため、例えばヨーロッパが一番詳しく調べているワインの添加物は、発ガン性があると証明されたとしても、アメリカも日本もゼロから改めて調査をし直す。
遺伝子組み換え農作物はアメリカで先に安全性が確認され、遺伝子組み換えのトウモロコシや大豆は作付けしてもいいことになった。アメリカの農家は生産しているが、輸入する日本側はまだ許可されていないため、消費者団体は非遺伝子組み換え品と混在させるなと言っていた。一方で、アメリカの大豆生産者団体はルールを守って栽培しているので、心配することはないと。もちろん、当時の話だが。
結局、日本は急いで認可する羽目になった様に見えた。日本もアメリカも北半球なので収穫時期は同じ。アメリカの畑で安全性が確認されたとしても、新作物が輸入されるまでに日本の畑でも確認する必要があった。
大豆とトウモロコシに関しては種に遺伝子組み換えタンパク質が入っているかが問題にされた。そして人間が消費しても安全かを確認する必要があった。
例えば、アメリカと日本では、使う大豆の品種が違う。日本は丸大豆。モンサントが使うものとは品種が異なるため、アメリカ輸入の大豆は遺伝子組み換え品種か、交雑し得る環境で栽培されたことが明らかだった。結局、日本側の安全性確認が終わるまでの間はカナダからの輸入になった経緯がある。
農水省の記者クラブで当時、家畜用の飼料になるアメリカのGMOトウモロコシは輸入されないが、遺伝子組み換え飼料で育った食肉は輸入されている訳だから、食肉も安全性試験をする必要があるんじゃないか、と嫌みな質問したことがあるが、その必要はないなどと答えに困っていた。
ベイリー アメリカでも同じことがあった。政府は同じような回答をしたが、消費者は信じなかった。
オーツ 当時、90年代は、狂牛病という問題もあったが遺伝子組み換え飼料やCJZ(クロイツフェルトヤコブ病)の原因物質であった牛肉骨粉も与えず、草食中心で畜養していたのはオーストラリアの牛だったので、豪州産の牛肉輸入が増えた。
小麦粉革命
ベイリー なるほど、それなら納得できます。遺伝子組み換え食品以外で見ると、現在の日本では、食品添加物の何が問題視されている?
オーツ マス・コミはほとんど無視したのだが、ここ数年の間では食パン用の乳化剤表示が業界も巻き込んで大問題になった。
特徴的だと感じたのは、あるパン製品は、イーストフード(イーストそのものではなくイーストの栄養源になるもの)を使っているので危険だと主張しつづける消費者がいたこと。イーストフードはいろんなものから作られるのだが、「食べるのをやめましょう」とキャンペーンをした。
ベイリー 工業用イーストということですか。例えば、お店でイーストを箱ごと買うこともできるが、そういった工業的に作られたイーストということだと思う。サワードウでもなく、自然酵母でもない。アメリカのジャーナリスト、マイケル・ポーランは、小麦粉の工業化だけでなく、工業用イーストが原因で起こる問題もあると指摘している。(『人間は料理をする(原著 Cooked)』)
酵母と小麦粉の工業化という2つの発展によって、パンが変わった。小麦や小麦粉にはいろいろな種類があり、それぞれ目的や用途が異なる。例えば、パンや麺類に適したものもあれば、ケーキに適したものもある。それにより、パンだけでなくすべての製品が別の物に変わってしまった。
第二次大戦後、小麦粉革命が起こった。全粒紛は菌があるため、腐りが早かった。そのため菌を製粉し、現在のような白い小麦粉にすることで保存期間を長くした。陳列寿命が延びる一方、栄養素は空っぽになった。だから栄養素を人工的に添加したということのようだ。
イーストを使った食品の中でも、白い小麦粉は栄養素が皆無で、イーストも空だ。加工品とでも言えるかのごとく栄養はない。例えば、サワードウスターターは、小麦や小麦粉では違う化学反応がある。小麦粉アレルギーの人は、自然酵母で作ったサワードウは食べてもアレルギー反応が少なく抑えられると聞く。もちろん、まだ証拠は検出されていないが、研究調査は進行中だ。
オーツ 日本の米穀にも当てはまるが、小麦の精白によって胚芽が失われるためパン食中心だと栄養源が足りなくなる。この成分であるトコフェロールはビタミンEを主成分とするが、精白時の胚芽成分からビタミンE(トコフェロール)が製造されている。失われた成分としてトコフェロールを添加する場合、もともと小麦胚芽の成分である訳だから、栄養強化成分として食品表示の義務がない。乳児用食品やシリアル類も栄養強化食品という分類であれば、表示しなくていい。
ベイリー 日本ではイーストフード表示が問題視されたということだが、食品添加物としては何を指すのか。
オーツ イーストフードは、簡単に言えば「乳化剤」表示を避けたいという目的もあっただろう。製パンメーカーがイーストフードへの切り替えを進めてきたところで、「イーストフード」表示も敵視されるようになった、というところだろう。日本のパンはアジア市場では大人気で、それを支えている技術の一つが乳化剤だ。パンがしっとり仕上がるのを助けている。消費者が理解しにくいのは、乳化剤という食品表示が無い方が安全なのか、乳化剤とは別にイーストフードと表示されている方が安全なのか、そもそも、なぜ表示されているのかなどが判断できないことだ。
ベイリー 乳化剤については、ついこのまえ聞いたばかりだ。このしっとり感によって、どれだけ加工されているかがわかる。もちろん、私でさえしっとりした日本のパンを美味しくないと思ったことはない。
以前、アンフィルターのカーボン・ニュートラルについて議論した環境座談会で、オーツさんと日比野さんが、日本は再生可能エネルギーのために高度技術があるのに使わないと言っていたことを思い出した。とても興味深い。
製パン技術にかかわる乳化技術について高度の技術を使っているなら、なぜ再生可能エネルギーのためにも使わないのか、と思わざるを得ない。
しかし、日本の消費者は、この乳化剤について特に何を心配しているのか。
オーツ 乳化剤が使われていたから問題になったのではなくて、「乳化剤・イーストフードを使っていない」という表示をする製パンメーカーが出てきたためだ。実際には食添表示義務のない何か別の代替品で乳化機能を補う必要がある訳だが、乳化剤やイーストフード表示をしているパンが、劣ったもの、危険なもの、という印象を与える「優良誤認」に該当するとみなされた。これに呼応して、特定の製パンメーカーを攻撃する市民団体も出現して、製パン団体、食品添加物団体に加えて消費者庁もこうした優良誤認表示を禁止することになった。
イーストフードには使用基準があるので、その基準値以内であれば問題はないはずだが、危険であるような印象を与えていた。カビが生えるか生えないか、パンの比較実験をして、カビの生えないパンがいかに危険なパンなのか、という印象操作をした。
ベイリーさんも知っているように、菌の管理を適切にすればカビは生えない。「○○を使っていない」という表示が消費者にとって心地よいと考えられるのは、日本独特なのだろうか。